seikacatのブログ

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宝塚歌劇について誰もとりあげない偏った話をしていきます。

台湾 公演も上映 宝塚 ライブビューイングの歴史

2015年8月に宝塚歌劇団は史上2度目の台湾公演を行い、千秋楽には全国20都道府県27映画館でライブビューイングが行われます。

 

liveviewing.jp

 

調べてみると、宝塚における舞台の外部上映の歴史は意外にも古くからありました。

 

 

トップさよなら中継のはじめ

 

それまでもTCAスペシャルなど、ビッグイベントの際には衛星中継の試みをしてきた歌劇団ですが、現在まで続いているトップスターの退団公演の映画館や全国の会場での中継は、2000年宙組初トップスター姿月あさとさんが最初とされています。

舞台中継本公演での舞台中継としては、宙組初代トップスタ—の姿月あさとのサョナラ公演のとき、全国 6 箇所の会場で舞台中継をしたが、そのスクリ I ンでの観劇のチケットですら入手が困難であった。それ以降、主演男役のさよなら公演は舞台中継され ...

宝塚歌劇団スタディーズ: 舞台を100倍楽しむ知的な15講座 - 植木朝子 - Google ブックス

 

しかしこの時はまだ中継は舞台が終了した後のさよならショー(約1時間超)のみ。

 劇場の観客との差別化のためか、まだこの頃は技術的に長時間中継は難しかったのでしょうか。

 

 その後のトップ退団公演では少しずつ中継時間が増えていきます。

ショー+サヨナラショーのみ中継の時期(以下敬称略)()は退団年

真琴つばさ(2001)

香寿たつき(2003)

 

紫吹淳 (2004) (公演千秋楽を冒頭から始めて放送した公演。)

 

以降、トップスター退団公演千秋楽は中継が常識となっていきます。

 

 

ライブビューイングとの結びつき

 

ちょうどこの頃アーティストのコンサートや舞台のライブビューイングが国内で広がりを見せ始めます。

日本でライブビューイングが始まったのは、2003年頃。「劇団☆新感線」を有するヴィレッヂがティ・ジョイと共に、2003年にプロジェクトを始動させ、「ゲキ×シネ」第1弾「髑髏城の七人~アカドクロ」を2004年に公開。時を同じくしてプロジェクトをスタートさせた松竹も、培ってきた映画と歌舞伎のノウハウを生かし、2005年に「シネマ歌舞伎」第1弾「野田版 鼠小僧」を公開した。

ライブビューイングの先駆は日本?映画館の可能性 - シネマトゥデイ

 

 宝塚歌劇も2009年TOHOシネマズと提携、TOHO、109系の映画館での上演が増えていきます。

 

歌劇公式で「ライブビューイング」という言葉が出てくるのは2012年頃。

ライブビューイングはコストがかからず、より多くの集客が見込めるため、その後も全国的に上映館は徐々に増えていきます。

 

 

歌劇団側と観客双方にどんなメリットがあるかはこちらが詳しいです。

www.siruzou.jp

 

 

2015年時点の退団公演ライブビューイング規模

 

最初は関東と関西それぞれの劇場に近い2館、合計4館でのスタートでしたが、2015年5月に退団した元星組トップスター柚希礼音さん退団公演では、全国46の上映館に台湾の映画館、さいたまスーパーアリーナでの初の上映など、規模はケタ違いになりました。

 

liveviewing.jp

 

 

この他にも映画館で録画した舞台を上映、つまり「ゲキシネ」方式の「レビューシネマ」という試みを歌劇団はしていますが、その話題はまた後日に。

 

 

 

宝塚 劇場にかつてあった「落書き」

1997年12月29日に一旦閉場し、翌1998年1月から建替え工事をした旧東京宝塚劇場。

 

 

2001年に現在の東京宝塚劇場は完成しますが、その取り壊される前の旧劇場の日比谷公園側の壁にはファンの落書き跡が多くありました。

 

内容としては贔屓への思いを書きなぐっていることが、ほとんどのよう。

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やはりその時代のトップさんや、路線の方が多いですね。

誰々様命って70-80年代に流行った記憶があります…

 

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ジャニーズファンの書き込みもチラホラありますが、これは旧東京宝塚劇場が他のミュージカルや、演劇も上演していたため。(実質宝塚歌劇が上演されていたのは1年のうち7か月ほど)。

 

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今、これをみた落書きされた本人様が「やーめーてー」となったならご連絡ください。

当時のお話を激しくきいてみたいです。

 

 

 その反面、同時代となる旧宝塚大劇場(兵庫)のトイレでも落書きがたくさんなされていたことは現在となってはあまり知られていないようです。

 

こちらは東京とは違って主に贔屓のライバルやもろもろの不満をぶちまけたり、嫌いなジェンヌを名指しで呪詛の言葉を吐きだしたり、まさしく「なんとかの落書き」状態で酷い状態だったらしいです。

 

探してみましたが、画像はみつからず残念…やはり感情の掃き溜めを残したいひとなんていないのでしょうか。

 

ネットがまだなかった時代、ファンの両極端にブレる感情の置き所。

 

その後はネットができた当初のファンがつくるホームページ(!)の掲示板→mixi→2ch→ブログ→twitter→LINEと形を変えただけで、連綿と受け継がれているようです。

 

 自分はリアルタイムではどちらも知らないため、東京が表の感情、大劇場が裏の感情とバランスよく(?)対をなしていたのではないかと推察。

 

ちなみに建物への落書きは建造物損壊という犯罪にあたると最高裁で見解が出たのは2006年。

これより以降はこの見解が一般に浸透していき、観光地での落書きも批判の対象になっていきます。

 

90年代後半から世間の常識も劇的に変化したといわれていますが、それまでの「落書き」にあった駅の掲示板的な、観光の記念的な気軽さの喪失もそのひとつかもしれません。

plaza.rakuten.co.jp

 

宝塚歌劇団専科 生徒の学年まとめ 2015

仕事の資料で使ったので、ここにも置いておきます。

もし誤りがあれば、わかりしだい修正していきます。

 

2015年4月時点での専科在籍生徒

 

     (男役)11名
  轟 悠    (研31)71期生 元雪組トップスター(1997~2001)劇団理事
  汝鳥 伶   (研45)57期生
  一樹千尋  (研43)59期生
  箙 かおる  (研41)  61期生
  夏美よう  (研40)62期生
  英真なおき (研34)68期生
  悠真 倫   (研21)81期生
  美城れん  (研18)84期生
  華形ひかる (研17)85期生

  星条海斗       (研16)86期生
  沙央くらま (研15)87期生
 
  

  (女役)5名
  松本悠里 (研58)44期生 宝塚歌劇団理事 宝塚歌劇殿堂入り

  京 三紗  (研45)57期生
  五峰亜季 (研30)72期生
  美穂圭子 (研27)75期生
  鈴奈沙也 (研26)76期生

 

 

よく年齢を疑問に挙げられるのが宝塚の生徒ですが、出身校(中学か高校)、学年と在籍年数でなんとなく察するのが作法(?)

 

 

こうして改めて記録すると、かつて60歳とされていた定年制度の例外が以前より広がっているのもよくわかります。

 

※追記  7/19 星条さんを追加しました。

ある程度経ったら、学年順に並び直します。

宝塚歌劇ソ連公演①

長年のえせロシア好きな私がいつも気になっているのはやはり、1975年9月~76年1月に行われた宝塚歌劇団ソ連公演。(最後の一ヶ月はパリ公演。)

 

当時の公演日程

1975年9月22日大阪国際空港出発、1976年1月14日大阪国際空港帰着

 9月27日 - 9月30日 *リトアニア(ビリニュス)

10月3日 - 10月12日 *リトアニア(カウナス)

10月16日 - 10月29日 *ロシア(レニングラード)

                                             (現在のサンクトペテルブルク)

11月5日 - 11月15日 *ロシア(モスクワ)

11月19日 - 12月4日 *ウクライナ(キエフ)

12月12日 - 1月11日 フランス(パリ)

*当時はソビエト連邦

 

【演目】

第1部(日本物ショー):『ファンタジー・タカラヅカ』(白井鐵造 作)

第2部(洋物ショー):『ビート・オン・タカラヅカ』(鴨川清作 作)

 

1975年の宝塚歌劇公演一覧-wikipedia 参照

 

 

1938年、65年に続いて第3回ヨーロッパ公演と宝塚史上では名づけられているこの公演、宝塚がソ連およびロシアで公演したのは、現在のところ後にも先にもこの時だけ。

 

 

OSK日本歌劇団(当時日本歌劇団 NKD)が、「剣の舞」で有名なソ連の作曲家ハチャトリアン氏が来日、たまたま大劇公演“春のおどり”を見たのがきっかけとなり、その後ソ連文化省の関係者が数回、視察に訪れた結果、招聘を決めたというエピソードとともに1965年~74年まで合計4回ソ連で公演したのと比べると、後発となる宝塚はソ連圏とそれに付随する共産圏では分が悪かったのかもしれず、別の地域へ向かった方がよいとの狙いがあったのかしれませんが、資料等から確証は現在のところとれず。

 

※最近では2014年10月にOSKは、日本・キューバ友好400周年交流事業として、キューバで海外公演を実施しています。

やはりこういう事業や公演は一度横の繋がりができると強いのかもしれません。

OSK日本歌劇団 - Wikipedia 参照 

 

 

宝塚ソ連公演へ参加したOGの当時の話。

中には会場が屋内のスケート場というところがあり、

氷のリンクの上に 天井からステージを吊り下げただけの

“吊りステージ”で公演をしたことがあったんだそうです。

 

ステージ上の出演者が揃って左右にスイングする振りでは

吊りステージも一緒になって左右に大きく揺れたため

急遽 上手側と下手側が逆方向にスイングする振付に変えるという

ハプニングもあったとか。

 

そんな不安定な吊りステージであっても

タカラジェンヌの技の見せ所 海外公演ではおなじみの三点倒立は

少々の揺れなんて何のその

みなさん バッチリ 決めたのだそうですよ。

 

 

58期 元星組 男役 孝 まりおさん をお迎えしました|レビュー・ステイションのブログ

 

 

あの驚異の三点倒立は、海外公演の十八番だったのか…!

 

 

ソ連公演についてはネタが集まればまた書きます。

 

 

 

 

 

2015.1 海上自衛新聞より、北翔海莉 星組トップ就任記事

2015年6月に星組新トップスターとなった北翔海莉(ほくしょうかいり)さん。

宝塚での愛称はみちこさん。

 

twitterから拾った画像ですが、トップ就任についてのみちこさんのお父様(海上自衛隊OB)の文が、海上自衛新聞に掲載されていました。

 

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2015年1月9日付けより

ちなみに、海上自衛新聞とは、

海上自衛隊OBが正会員。

海上自衛隊新聞社が出している週一金曜日発行の新聞。
購読料は年8250円
8ページのタブロイドサイズの紙面になります。

お近くに自衛隊地方協力本部があればそこに置いてあります。
新聞社は防衛省のすぐ近くにある。

 

らしいです。

芸名の名づけから始まって、みちこさんが海上自衛新聞で取り上げられるのは今まで何度かあったとこの文からは推察できます。

 

 

 

彼女のトップ就任までの道のりははたでみているだけの私などでも十分ハードにみえましたが、その辺りにもここでは触れています。

 

インタビューなどでよく、家族に自衛隊員が多いので幼い頃は自分も自然にそうなるだろうと思っていたと語るみちこさん。

 

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右は相手役となる妃海風(ひなみふう)さん。

 

過去にはしばしば「観客に夢をみてもらう」という「宝塚枠」から外れリアリティを追求する発言で物議をかもしていましたが、トップともなればそれも変わってしまうのでしょうか?

 

 

入団当初からおそらく頂点に立つことがあらかじめ決められ、結末までそれが揺るがなかった前星組トップスターさんとは、まるで逆の傾向とスタイルがどう組を変えるのか、無責任に注目しております。

 

 

 

 

 

 

宝塚歌劇団マイナビ2016をざっくりみてみよう

 宝塚歌劇団 演出助手(将来の演出家候補、歌劇団では最初は演出家についての演出助手からスタートする)の募集がこの4月からマイナビに出ていました。

宝塚歌劇団 - マイナビ2016

 

 

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私の記憶では演出助手をマイナビで募集するのは初めてのような。

それまでもあったのか?

 

これまではずっと公式サイトの「お知らせ」から演出家や歌劇やGRAPHの編集の募集を行っていて、恐らく他にも、ハローワークとか、各大学への求人連絡とか専門職に特化したサイトや誌面で募集はあるのかもしれませんが、寡聞にして知りません。

 

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そして気になる受験要項と待遇面。

 

 

 

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社会人を経験したことがあるひとなら、涙なしでは見られない感じです。

 

 

こういうお仕事に豊かさは無用!とはねつけるのは簡単ですが、現在のご時世ではそういう態度は企業叩きにも発展しかねないし、マイナビでの求人は社会へのコンプライアンスなど歌劇団の一定の配慮とみなすべきかもしれません。

 

 

やはり小池修一郎先生くらいの年月と実績を経ないと、「給料安い(笑)」「助手とか単なるパシリ」などぶっちゃけられないのでしょうね。

そんなインタビュー記事がこちら。↓

www.premiumweb.jp

 

実際に演出助手へ応募した方がその詳細を書かれているブログもあるので、興味がある方は、「宝塚 演出助手募集」等で検索すると読めます。

 

※2008年の話のため現在とは違う部分もあるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

たからづかアーカイブ

2015年に市制60周年を迎えた兵庫県宝塚市は、まちの移り変わりを記録した写真約200点をデジタル化し、「たからづかアーカイブ」としてインターネットの公式サイトで公開を始めています。

 

www.city.takarazuka.hyogo.jp

 

広報課では1万本以上のフィルムを保管する。市が2月発行した絵本「宝塚市の60年」の制作にあたり、画家に提供する資料として写真を整理。広く歴史を伝え、宝塚への愛着を深めてもらおうと、3月17日にアーカイブを設けた。

 

 

神戸新聞NEXT|阪神|宝塚市の60年、写真で記録 HPで200点公開

 

画像転載は禁止されているので、ここには載せませんが貴重な写真がみられます。

 

55年の温泉街付近とかは、ホテル若水の隣で現在もなんとなく面影があるとか80年代初頭はまだ白黒写真とカラー写真が混在してるとか、

特に81年の温泉街とか街並みとかは大好物の類なのでもっとみたい。

 

 

1954年にそれまであった宝塚町と良元村が合併してできた「宝塚市」の記念事業なので仕方ないのですが、これを機に戦前の写真も是非公開してほしいです。

 

宝塚市図書館とかには資料がたくさんありそうですけど、赴くのは難しい県外の自分には有り難い限りです。

宝塚ホテル 怖い?ほどでないけど 夏らしいお茶会の話

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解体移転が発表された宝塚ホテル

営業終了や新ホテル開業の時期などはまだ未定。

 

 

お茶会に最近は行くことはないのだけれど、2011年に行ったとあるジェンヌさんのお茶会でした体験。

というか体験した友人からきいた怖いかな?というくらいの話です。

 

場所は宝塚ホテル「宝寿の間」。

 

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宝寿の間。お茶会イメージとして近いのはこんな感じです。

 

 

 

 

路線スターさんがお茶会で使う定番の場所。

 

霊感の強い友人と行ったのだけれど、お茶会の時間中(特にスターさんが来られてから去るまでの間は強く)、ひんやりとした見えない誰かの手が彼女の足首をずっとつかんでいたのだそう。

 

「このままついてきたら面倒だなあ」と彼女は考えていたらしいが、終了後に宝寿の間を出ると手は離れたのだとか。

 

ホテルにいた霊なのか、ひょっとするとスターさんがらみなのか、もしくはお茶会出席者についてきていたのか。

 

一番考えやすいのは宝塚ホテルは老舗の宿だし、ほぼ毎回たくさんひとが集まる場所だからあそこに定宿している霊もいるのかもしれないという可能性。

 

しかし同時期に宝寿の間で他のスターさんのお茶会に行った時は、友人はなにもなかったと言っていたので確信には至らず。

 

宝塚ホテルでお茶会ときくと、いつもふと思い出す経験でした。

 

彼女(と、友人は言っていた)はあのホテルが移転したら何処にいくんだろう?