皆様 2021年もよろしくお願いいたします。
seikacatです。
今回はタイトルの案件について考えてみたいと思っています。
読んだ方のなにかの思考のきっかけにでもなっていただけるなら幸いです。
宝塚歌劇がコミックを原作にした演目はかなり昔より存在します。
もちろん人気の理由はそれだけではないですが、最近でも『はいからさんが通る』がありますし過去にも多くあります。
一躍一般にも知名度をあげたのは、「ベルサイユのばら」ですが、(実はベルばらは最初ではなく戦前にもコミック原作モノはあったらしいです。)
ベルばらに関しては、あまりにも有名になりすぎたゆえにかえって宝塚=ベルばらという世間からのイメージ脱却にかなりの月日を費やさないといけないことになりました。
(もしかして現在もまだ脱却は出来ていないかも?)
(ベルばらが宝塚歌劇で最後に上演されたのは2015年。2020年終わりの現時点で再演される予定はありません)
ファンとしては役は少ないし昭和における「最新の価値観」であるために観るのは辛いという意見もあります。
実は私もそうです。
このあたりの話はこちらの記事で詳しくしています。
宝塚は歌劇団所属の演出家のオリジナル作品を筆頭に和洋の古典名作作品、コミックや映画作品の舞台化、時代劇、SF、人情喜劇そして現代を舞台にした文芸作品までありそれが宝塚という枠組に入ることによりファンは、安心して楽しめるようになります。
月組トップ娘役美園さくらさんが言われたように通常なら観ないかもしれない作品の「違和感を超える」ことで宝塚作品となることをいわば許されるのです。
またこれとはいわば真逆で宝塚歌劇と連携はしていなくても宝塚、もしくは宝塚歌劇を想定して創作されたであろうコミック作品もこれまで多く存在してきました。
ただそれらは一般のファンをある程度獲得はすれども、肝心の宝塚歌劇ファンからの支持は製作側の想定よりはあまり多くなったことがないというのが私の見解です。
その理由を私なりに考えてみました。
宝塚歌劇イメージのコミックはなぜ売れないのか
なぜ宝塚歌劇をイメージしたコミックなどの他媒体作品は、ベルばらのような一般層が知るようなヒットをしないのか?
結論から言うと宝塚歌劇において私が思う最大の魅力の、観た人によってどのようにも受け止めることができる部分をコミックや小説では削ってしまっているからだと思います。
「以下に宝塚歌劇をイメージしていると思われるコミックを一部ですが載せてみました。)
以前も書きましたが、宝塚歌劇は深いファンになっていくほどその思考のリソースを無意識に多方面に消費していかないといけない少し複雑化されたシステムのあるエンタメです。
芝居、ショー、それぞれの演出家のテイスト、贔屓、組、スポンサー、舞台の原作、劇場の使い方、ファン同士の関わり、会、チケットの取り方それぞれにファンは実は無意識に労力を費やしています。
(これについていけない人は「宝塚はベールに包まれた世界」などと呼ぶのかなあと考えたりもします。)
ただ映画のように座って楽しませてほしいというのではハマっている人との温度差が出来てしまいやすいエンタメなんです。
対処も楽しみ方も少しずつ違いそれらをファンは無意識にマスターしている。
宝塚歌劇を想定したコミックはしかしジャンル自体のミステリアスさのためか多くあり、そしてこれからも創られるだろうと感じています。
宝塚歌劇の一部分をわかりやすく切り取り特化してコミックなどにすることで、能力を磨かれていない人でも宝塚歌劇を側面ではありますが、知ることができるようになります。
宝塚をイメージしたコミックのそれが長所と言えるでしょう。
「人によって受け止め方が違う」を削って提示した部分は、宝塚をあまり知らない層には「宝塚というエンタメのわかりやすさ」になります。
つまりとっつきやすい、受け止め方の固定ができるという利点があるからです。
しかもコミックは作者や編集の意図が入るので、一般世間に寄せる工夫をされています。
必死に生きる生徒達や演出家の苦悩などはスポーツ物の作品に通じるといえるでしょう。
2020年現在連載中の「かげきしょうじょ!」などもどちらかというと一般社会に寄せたつくりになっています。
演出家の思いや少女たちの夢や目標、挫折や人間関係などは比較的リアルに描かれています。
長々と書いてきましたが、こうして私が書いている文も、宝塚歌劇というものへのつまりは「受け止め方の固定」といえますね。