ふと気になって調べてみた「歌劇」表紙を撮影してきた写真家の歴史です。
歌劇の表紙の歴史おさらい
宝塚歌劇の月刊紙には「歌劇」(毎月5日発売)と「TAKARAZUKA GRAPH」(毎月20日発売)があります。
文多めが「歌劇」、写真多めが「GRAPH」となんとなく役目も割り振りされています。
「歌劇」の創刊は1918年。
初期の表紙は、レトロなイラストでしたが…
これも今グッズにしたら可愛いだろうなというものばかり。
昭和7年(1932年)からはイラストから生徒の顔の色刷り写真に進化します。
色刷りとは、カラー写真がない時代に人の手によって彩色した手法のこと。
特定の誰が撮影したという記述はないようです。
また戦後すぐは余裕がなかったのかモノクロのままの表紙の号もありました。
1950年10月号 寿美花代さん表紙
写真家による歌劇表紙撮影スタート
そして1966年1月号から、当時の著名な写真家秋山庄太郎氏が表紙を担当して撮影することになります。
スターの顔に寄って撮る現在まで続くスタイルは、色刷り写真だった頃を引き継いだものだったのかもしれません。
2003年に氏が亡くなるまでの37年もの間この表紙撮影は続くことになります。
歌劇の表紙を集めた写真集も出されています。
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写真家交代の歴史
その後は秋山氏に師事したこともある藤井秀樹氏が表紙を担当。
私がこの頃の歌劇を一部しか持っていないため確認が不十分ですが、2009年頃まで続いたようです。
創刊100周年の頃にイベントで「歌劇」の歴史が展示されていましたが、
この時期(2003-2009)は写真家個人で歌劇写真集を出していないこともあってか、あまり取り上げられる頻度が少ない印象です。
2010年1月号から2020年現在まではレスリー・キー氏が担当しています。
こうしてみてみると写真家の志向とその用いる技術が違うだけで、同じその対象の方から受ける印象がかなり変わるということがわかります。
レスリー・キー氏と宝塚歌劇の繋がり
レスリー氏は、2008年星組公演「スカーレット・ピンパーネル」のビジュアル撮影を初めて担当。
これにより宝塚歌劇との繋がりができたようです。
小池修一郎先生作品のビジュアル撮影を多く手がけ、先生自身のレスリー氏撮影プロフ写真もあります。
配置とかデザインは小池先生指示のデザイナーの方かなと思いますが、個人的に飛び出せ!なんとか的なポスターはちょっとした共感性羞恥が顔を出す私…
最初はなかったレスリー氏の明記が作品にされるようになっていき、さらに事務所名も入るようになり、そうかブランドというものはこのように作られるのかと感じたり。
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歌劇表紙は専科トップ、各組トップスター、トップ娘役、2番手、3番手くらい?までという決められた枠がありジェンヌにとっては大きなステータスのひとつとなっています。