seikacatのブログ

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宝塚歌劇について誰もとりあげない偏った話をしていきます。

阪神大震災と宝塚歌劇

 

【お知らせ】今回は1995年に発生した阪神大震災、その宝塚歌劇の様子についての記事です。

 

震災に対してなんらかの辛い記憶が蘇るという方はこの記事は読むことを避けていただいた方がよいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 1995年1月17日早朝。

当時関東などにくらべて、比較的地震災害は起こらないと想定されていた兵庫県を中心とした大規模な地震が発生。

 

宝塚大劇場がある地域も、震度7(当時の目安にて)という大きな被害を受けました。

阪神・淡路大震災 - Wikipedia

 

花のみちの様子

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レトロな街並みをつくっていた木造建築の店舗はほぼ全壊となりました。

 

 

JRよりも復旧は早かった阪急電鉄も、大劇場のすぐ横で

脱線しています。

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当時ヘリからのニュース映像では何日かこの様子は放送されていました。

調べると混乱による道路渋滞により部品が届かず、列車を完全に撤去できたのは25日だったそう。

 

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宝塚大劇場の被害

 

スプリンクラーが作動し劇場内は水浸しになり、コンピューター制御による最新の舞台装置はことごとく破壊され、約130トンの舞台装置を支えていた、直径8センチのボルトは真っ二つに折れました。また、すべての衣装を保管していた倉庫も水浸しとなってしまったのです。

 

SmaSTATION-5

 

この表現だと結局どんな被害があったのか素人にはよくわかりませんが、そのあたりはやはり企業としては、あまり公開したくない情報なのかもしれません。

 

www.city.takarazuka.hyogo.jp

 

公演への影響

 

この影響により、元旦から公演中だった当時の花組トップスター安寿ミラさん退団公演は中止を余儀なくされます。

演目は『哀しみのコルドバ』、ショー『メガビジョン』

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 右は二番手スター真矢みきさん。

当初の発表では、公演再開まで半年はかかるだろうとされていたため

花組公演の次に予定されていた、月組公演も中止。

 


 

 

もちろん大劇場だけでなく隣のバウホールで行われていた、雪組公演高嶺ふぶきさん主演『グッバイ・メリーゴーランド』もわずか3日間の上演となりました。

(1月14日~16日)

 

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宝塚全体としては、2月からの名古屋中日劇場で公演を再開することになります。

本拠地である大劇場公演再開初日は星組による3月31日。

 

この時の初舞台生は81期生でした。

tv.rakuten.co.jp

 

トップスターたちの当時の思い

 

 安寿さん自身はこれまで、この宝塚史上もっとも異例となった退団公演について詳しく公ではコメントされていませんでしたが、2015年1月、震災から20年を機にインタビューに応えられています。

 

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劇場近くの自宅マンション5階で大きな揺れを感じ、飛び起きた。

劇場の楽屋に行くと「足の踏み場もないぐらいグッチャグチャ」だったという。1月1日に始まり、2月13日まで予定されていた「サヨナラ公演」の続行は諦めるしかなかった。

 サヨナラ公演につきものの「最後の大階段」も「サヨナラパレード」もなくなった。「今思えば、凄く悲しかったんだろうな、とは思います。自分の人生を懸けていた場所の最後で“これか…”と。ただ、天災ですから誰に文句を言えるわけでもない。凄く不思議な感じだった」という。

 

  

 

歌手の細川たかし(64)が、3月に行う大阪・劇場飛天(現梅田芸術劇場)の1カ月公演を半分削り、サヨナラ公演用に日程を譲ってくれた

 

www.sponichi.co.jp

 

宝塚歌劇の中でもっとも重要視される公演はトップスター退団公演です。

ファンも演じるスター自身も、戻らないその場所でしか実現しない瞬間を噛みしめながらつづる最終章。

そのイベントのひとつひとつが失われる悲しみ。

 

予定が大幅に変更されたのち4~5月に東京公演もさよならショーも、上演されました。 

安寿ミラ - Wikipedia

 

 

こちらは宝塚音楽学校現講師 渡辺奈津子さん(元星組トップスター紫苑ゆうさん)

公式サイトの日記より。

当時自身の退団公演を終えられたばかりでした。

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今回、また震災を経験して、生かされているだけで十分だったと
思い出しました。
今の被災者の方々とは比べ物にはならないけれど、私も親と
連絡が取れず息が出来ず気が違いそうな思い、生まれ育った家
が無くなってしまう思いを阪神大震災で経験したので、

 

http://www.yu-shion.net/fannominasamae2.html

 

音高生の行動を追う

 

東日本大震災の際参考にしてほしいと、阪神の時の当時の音楽学校生はどう行動したのかを82期生OG(震災当時予科生)叶千佳さんがブログにて綴っています。

  

 

 

宝塚市震度7



すぐさま寮生の同期集合。全員、生きていた。何が起きたのか、、、頭の中は混乱状態。みんなで話し合い、制服を着て、髪型も整え、1列にきっちり並んで、すぐ登校できる状態で寮の1階に降りた。



寮の中は騒然としていた。本科生、劇団生、寮外生の劇団生も次々に寮へ。



私達の姿を見て寮長先生が『あなた達、こんな時に…』私達はどんな大変な事が起きたのか理解できてなくて、いつも通りの姿で整列していた。

 

 

 

劇団生の方達も稽古が始まっていて、寮ですれ違う先輩方も何ともいえない緊張感のある顔をしてた。



こんな時期に、エンターテイメントが必要とされるのか。舞台をやってていいのか。きっと、葛藤があったのだと思います。

 

社会を揺るがす非常時に、「エンターテイメントが必要とされるのか」という難しい問題は、2011年の東日本大震災の際にも議論が起こり、コメントしたOGのSNSへの批判が相次ぐなど結局結論は出ないままとなっています。

 

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『私達、音楽学校も卒業できず、あの舞台に立つ事もなく、さよならなのかな…』



『そんな事ないよね!絶対すぐ会えるよ!私達にしかできない事があるはずだよ!』



自分に言い聞かせる様にみんなで励まし合った。



同期に会いたかった。すごくすごく会いたかった。



怖くて仕方なかった本科生に、また怒られたかった。お掃除させてよ。頭ペコペコ下げながら、また道歩きたいよ。

 

あの時、『宝塚歌劇団はもう終わった』と私も思ったけど、街は復興しました。宝塚歌劇団は復興しました。

 

現在と事情が違うのはわかりつつも、女子学生をそれぞれの判断で単独自力で帰してしまったの?という疑問が残ったりもしますが、予科生は約1か月の自宅待機と記されています。

公式記録では1月30日音楽学校再開とあるので本科生、それに劇団生はまた対応が違っていた可能性が高いです。

 

受験生

 

最後は後に宙組創設メンバーのひとりとなった83期生OG悠未ひろさんのインタビュー。 (1997-2012在団)

震災に直接関わった当時のジェンヌの最下級生といえます。

音楽学校に合格するまでには、もう一つ、忘れられない思い出がある。1995年1月17日、阪神・淡路大震災の朝、悠未ひろさんは宝塚市内のホテルに一人で泊まっていた。東京都出身の彼女にとって、その日は初めての宝塚大劇場観劇日だった。
「やっているだろうと思っていたら公演は中止。すごくショックで、電話も繋がらないし、一人とぼとぼ歩いていたら、ある女性の方が声をかけてくださって、一緒に避難することができました。でもラストチャンスの受験を控えて、どうなるのかと本当に心配しました」 

 

ウィズたからづか Web Site

 

当時現役で舞台に立っていたジェンヌさんの行動などは、なかなか見つかりませんでした。

イメージに左右される職業ですからある程度仕方のないことではあるのですが…

 

阪神大震災時の宝塚関係者の話、どう行動したかなどはまた、一定数情報が集まれば記事にしたいと考えています。