長年のえせロシア好きな私がいつも気になっているのはやはり、1975年9月~76年1月に行われた宝塚歌劇団ソ連公演。(最後の一ヶ月はパリ公演。)
当時の公演日程
1975年9月22日大阪国際空港出発、1976年1月14日大阪国際空港帰着
9月27日 - 9月30日 *リトアニア(ビリニュス)
10月3日 - 10月12日 *リトアニア(カウナス)
10月16日 - 10月29日 *ロシア(レニングラード)
(現在のサンクトペテルブルク)
11月5日 - 11月15日 *ロシア(モスクワ)
11月19日 - 12月4日 *ウクライナ(キエフ)
12月12日 - 1月11日 フランス(パリ)
*当時はソビエト連邦
【演目】
第1部(日本物ショー):『ファンタジー・タカラヅカ』(白井鐵造 作)
第2部(洋物ショー):『ビート・オン・タカラヅカ』(鴨川清作 作)
1938年、65年に続いて第3回ヨーロッパ公演と宝塚史上では名づけられているこの公演、宝塚がソ連およびロシアで公演したのは、現在のところ後にも先にもこの時だけ。
OSK日本歌劇団(当時日本歌劇団 NKD)が、「剣の舞」で有名なソ連の作曲家ハチャトリアン氏が来日、たまたま大劇公演“春のおどり”を見たのがきっかけとなり、その後ソ連文化省の関係者が数回、視察に訪れた結果、招聘を決めたというエピソードとともに1965年~74年まで合計4回ソ連で公演したのと比べると、後発となる宝塚はソ連圏とそれに付随する共産圏では分が悪かったのかもしれず、別の地域へ向かった方がよいとの狙いがあったのかしれませんが、資料等から確証は現在のところとれず。
※最近では2014年10月にOSKは、日本・キューバ友好400周年交流事業として、キューバで海外公演を実施しています。
やはりこういう事業や公演は一度横の繋がりができると強いのかもしれません。
宝塚ソ連公演へ参加したOGの当時の話。
中には会場が屋内のスケート場というところがあり、
氷のリンクの上に 天井からステージを吊り下げただけの
“吊りステージ”で公演をしたことがあったんだそうです。
ステージ上の出演者が揃って左右にスイングする振りでは
吊りステージも一緒になって左右に大きく揺れたため
急遽 上手側と下手側が逆方向にスイングする振付に変えるという
ハプニングもあったとか。
そんな不安定な吊りステージであっても
タカラジェンヌの技の見せ所 海外公演ではおなじみの三点倒立は
少々の揺れなんて何のその
みなさん バッチリ 決めたのだそうですよ。
58期 元星組 男役 孝 まりおさん をお迎えしました|レビュー・ステイションのブログ
あの驚異の三点倒立は、海外公演の十八番だったのか…!
ソ連公演についてはネタが集まればまた書きます。